記録ある人生にしたい
僕がブログを書いているのは、自分を記録するためだ。
自分がここにいたということを記録するために僕は文章を書いている。
昔から僕は、目立ちたい訳でもなかったけど、ユニークな存在ではありたいと思った。
かっこよく言うと、知る人ぞ知る '人' 的な感じになりたいと思った。
だから、自分がいなくなった後も1人でいいから、自分のことを覚えていて欲しいって思った。
そこで、ちょっと前に、生きたい証とかってどこに残るのだろうと考えたことがある。
例えば、スティーブ・ジョブスとかってみんなの頭の中にいるし、それこそ生きた証を残していった人だと思う。
生きた証を残すには成功しなくてはいけない、結果を出さなければいけないのかって考えたこともあった。
だけど、そんな社会の評価に左右されるような部分で自分の人生を進めて行きたいとも思わなかった。
生きた証を残すには
ある日気付いたのが、僕たちはスティーブ・ジョブズには直接あったことはなかったことだ。
僕たち一般人は、メディアを通して間接的にしか知らない。
そこで、生きた証って記録があるってことだという事に気づいた。
誰かの記憶に残っているから生きた証になる、有名になるのではなく、
メディアが取り上げるから、有名になり、誰かの記憶に残り、誰かの記憶になるのだ。
だから、そのメディアとして僕はブログを書く事にした。
その一環として、twitter もやってるし、 instagram もやっている。
自分がこの2018年6月15日にここにいたってことを記録しておくことで、誰かが見つけてくれるかもしれない。
@yoshixj • Instagram photos and videos
短くなっていく時間を、目に見える形で
記録しておくことは何も、外部目的だけではない。
自分の内面的な面も目的だ。
人って意外と自分を分かっていない。
最近は、すぐ忘れると言う事に気づいた。
人間は年を重ねるごとに時間が早く感じると言う法則がある。(ジャネーの法則)
だから、これからの時間は相対的には同じ長さの時間を過ごしているのに
自分の感覚だと、あっという間にすぎていってしまうだろう。
しかも、僕はすごく忘れっぽいので、何もせず気づいた頃には、
あれ?俺はこんな長い時間何をしていたんだ。。。。
ってなりそうな気がしてならない。
そうならないために、今日は何をした的なことをちゃんと記録して、自分が過ごしてきた時間を可視化できるようにしたいと思った。
感情を残す
僕が残しておくものの大きな基準として、感情が動かされた時のことを残しておこうと思っている。
生きる意味のようなことを考えたが、一人の人間が社会にインパクトを与えるために生きるって難易度高すぎだし、客観的評価のために生きるのは嫌いだ。
結果、生きる事との意味に、客観的な意味など全くなく、自分が幸福度高い状態で最後を迎えられれば生きる意味があったって事になるのかって思った。
自分が幸福度高い状態に持っいくことが僕が生きる意味。
僕たちの幸福度は感情に支配されている。
よく言う話で、貧乏な人にも幸福な人はいるし、金持ちにも不幸な人はいる。
その幸福って感情に絶対依存するもの。だから、僕は感情を大切にしないといけないと思った。
そこで、感情を大切にするって何だろう??って考えたときに、僕はそれを記録することだと思った。
上述したように、人間は意外とすぐに忘れる。
ライブでの感動、ディズニーの楽しさ、不幸なことでの悲しさ。
人って、その場では、めっちゃ、もうこれは絶対に忘れない。
って感じるくらいに、感情が動かされるのに、
1週間、1ヶ月、1年経つとその感情はどんどん薄まってしまう。忘れているってことだ。
感情が動くって素晴らしいと思うし、プラスに動かされた時が幸福だし、マイナスでもそれが生きているって実感するときでもあると僕は思っているので、できるだけ忘れたくない。
だから、できるだけ感情が動いたときにはその情景、いまどんな思いなのかを言葉にして残しておきたいと思っている
それが、あとあと自分で振り返った、今までの人生が充実していたと言う事に気づくきっかけになるとも思っている。