まっすぶっちの美忘録

自分を記録する。ツイッターしてます。 https://twitter.com/yoshixj

インターネットは偶然を増やすツールだと思う

僕たちの人生は全て偶然であると思う。

僕の場合、

偶然、地方の最寄り駅まで15kmほどある田舎で生まれた。

偶然、公立中学校に入った。

偶然、勉強とスポーツが少しできたので名ばかり進学校に入れた。

偶然、勉強をちゃんとやる友達に囲まれ、お金も少しあったらしく東京の私立の理系に進学することができた。

偶然、ITが好きだったので、プログラミングを勉強し始めた。

偶然、起業した先輩がいたので、面白そうだから参画した。<= 今ここ

価値観が違う

時々、どうなると僕の人生は幸せなのかなと思う。

東京という社会を見ると、良い学歴を持ちそれなりの企業に勤めて、それなりの給料をもらい、休日はおしゃれなお店でディナー、BBQを開催!

の様な人生がなかなか幸せなのではないかと思う。

しかし、僕の地元をみて見ると

大学に進学した人は半数もいるかわからないし、その中で東京にきた人ってなると2桁行くかなぁくらいなのではないだろうか。

そうなってくると、休日にはおしゃれなお店でディナーなどない、BBQもお友達の家がそもそも遠すぎる、電車もないし、お店もない。

僕が子供の頃を振り返って見ると、休日は家でまったり、祖母祖父の家に行く、子供が部活やると子供の部活に付き合う。

の様な感じだった。

この様な状況を見ると、

贅沢こそ至高。

という価値観をメディアによって植え付けれてきた僕たちは東京で暮らしたいと思うのかもしれない。

インターネットは人による考え方の共有を可能にした

最近、東京でのお金がかかる、背伸びをしたオシャンティーな暮らしよりも、

地方に行ってお金がかからない、のんびりとした生活を幸福と定義した人が増えていると思う。

ここで、僕が考えたいのはこの事をなし得たのは何かという事。

それはインターネットだと思う。

昔は東京の人は東京の暮らししか知らなかったし、地方の人は地方の暮らししか知らなかったのだと思う。

しかし、インターネットの普及によりそれらの暮らしが常に共有される仕組みができた。

このインターネットと言うものが成したものは本当にでかい。

ここまでは、地方と東京という2元論の話をしているが、暮らしの共有という点を捉えると

お金持ちはどの様な考え方をしているのか、サッカー選手は?、芸能人は?、サラリーマンは?、OLは?、大学生は?

といった様々なクラスタの人たちの考え方が共有される様になった。

そして、この考え方が共有され始めたというのがとても大きいと思う。

資本主義がフラットになり始めたのではないか

我々が今まで生きてきた世の中は資本主義の世の中である。

資本主義の世の中は 資本家、経営者、個人事業主、労働者(だったかな???)

の様なクラスタに分けられていた。

一概には言えないかもしれないが、この資本主義を生きる上では

資本家 > 経営者 > 個人事業主 > 労働者

の関係性を持っていて、左に行くほど贅沢で、楽な暮らしができる。

この関係性、世代が変わっても続くことが多いのが世の中の面白いところで、どいうことかというと

資本家の子供は資本家、経営者の子供は経営者、労働者の子供は労働者

の様に、関係は子孫に引き継がれる形が多く見れれている。

実際に僕の友達でも、起業しよう、しているみたいな友達は親が経営者であることが多いし、SNSなどをみていても若いうちから会社をやっているのは大体、親が経営者であることが多い。

なんで、こんなことが起こるのかというと、僕が思うに、我々人の人生は考え方が全てだからだと思う。

そして、その考え方は人生の偶然でしか生成されなく、若いうちからビジネスをやっている奴らは、その偶然があったからできているのだと思う。

そして、今までだと、僕たち労働者階級の人たちは、その偶然によって生成された資本主義の世の中で優れた考え方をもつ人たちにいい感じで、丸め込まれて働くしかなかった。

なんでそうするしかなかったかというと、この資本主義で、我々は経営者、資本家がもつ考え方を知ることができなく、そもそもそちら側に行こうとも思わなかったからだ。

しかし、時代は流れ、インターネットというものがこの世に生まれてきた。

そして、様々な考え方が共有される様になった。

そして、気づいてしまった。 資本主義というカラクリを。

そして、経営者になろうとする者が増えたり、労働者でも考え方を武器に今までの労働者という概念を壊し始める人も出てきた。

そんな今の時代は、社会が権力が弱まる経営者、権力が強まる労働者の様な構図にシフトしていき、

さらに大量生産、大量消費によって最低限の富のレベルがどんどん下がる社会も後押しし、

フラットな社会へと移り変わっているのではないだろうか。

それを、IT界隈では価値主義という名前で読んでいるっぽい。

偶然を生み出すインターネット

僕は、社会にはある程度成功の法則という物があると思っている。

しかし、それは全員が知るものではないのかなと思う。

その成功の法則を知れるのはごく一部に限られてくるからだ。

ここで、成功とは何か?幸福とは何か?

みたいな議論をするつもりはないが、僕の中での成功は死ぬときに人生に文句を言わないことである。

かく言う僕も、成功の法則を知れている人間ではないと思う。

しかし、人生を よくする という点を見ると少しずつであるが近づいているのではないかなと思う。

これを可能にしてくれたのは

偶然、人生を よくする 考え方に出会うことができたからだ。

それを偶然を与えてくれたのが、インターネット。

今のところの僕の成功の法則

今、僕がインターネットに抱いている思いをダラダラと書き連ねてしまったが、僕が思うことをまとめると

インターネットにより、上流階級も下流階級もなくなり、すべてがフラットな世の中に移り変わっているということ。

人生は よくする とい考え方があり、それに出会うのは偶然であり、その偶然を多くしたのがインターネットであるといこと。

以上である。

上記を踏まえた上で、僕の様な普通の環境で育ってきた人間の現代社会を生き抜く上で最も良いのではないかとい考え方は

生産。積み上げ。継続。

って感じである。

この考え方をくれた偶然に感謝。

インターネット好き!

21歳。のポエムでした。