怒る人にメリットなんか無いと思うのだけれども
怒る人、怒らない人は天性的に決まっているという話をした。
僕は自分のことを所謂、理性的合理的な人間の方であり、そのせいでもあってか怒った記憶が人生を通してほとんどない。
最初は、怒る他人と怒る気力がわかない自分を比較し、自分が変なのではないか。と考えたこともあった。
しかし、年齢を重ね周りが大人になる ≒ 理性的になり、怒らなくなる
に連れて、そんなに変でもないかと思うようになった。
しかし、それでも怒りっぽい人はいるらしい。
今回はそんな怒りっぽい人に向けて、###怒る について僕が考えることを書いて行こうと思った次第である。
怒るメリットなど何も無い。
まず、これを読んでいるあなたの人生を振り返って、今まで好きになった人、嫌いになった人を思い出してほしい。
よく怒る人、感情的になってしまう人はどちらに分類されるだろうか。
圧倒的に嫌いになった人に分類されるのでは無いだろうか。
人に嫌われる事にメリットはあると思うだろうか、いや、ないと思う。
我々の人生の幸福度は人間関係に決まるという事がどこかしらの論文ですでに発表されている。
当たり前だが、人間関係をよくするに当たって、他人から嫌われる事にメリットなど微塵もない。
つまり、怒る事により嫌われてしまう確率が上がるのであれば、怒るメリットなど全くないに等しいのである。
人が怒る時とは
そうは言っても、、、という声が聞こえて来そうだ。
僕の経験上、人が怒る場面には共通して存在する事象がある。
それは
他人が自分の思い通りにならない
という事だ。
人は不思議で、
自分の思い通りにならない → 怒ろう!
となるらしい。
いや、当たり前じゃん??
って思う人もいるかもしれない。
そんな人は今一度よく考えて欲しい。
最初に述べたように、人間関係をよくする事が現状をよくする事に繋がる。
しかし、怒るということは人間関係を悪くすること。つまり現状を悪くすること。
矛盾している。
つまり、怒ってしまう多くの人間は
自分の思い通りにならない → 怒ろう!
という誤ったロジックで怒ってしまうのである。
人が怒る本当の理由
人は論理的には誤った論理で怒るという感情を発してしまうことは分かった。
しかし、そもそも人はなぜ怒るのだろうか。
それは、反射で感情を発してしまうからだと僕は思う。
前提として、感情には1次感情という感情と、2次感情という2つの感情があるということを頭に入れてもらいたい。
1次感情とは、その名の通り最初に感じる感情である。
他人がしでかす物事に対して、ストレスを感じたり、イライラしたり、不満に思ったりするフェーズが1次感情である。
1次感情結果のアクションとして、怒るという感情をだす。ここれが2次感情である。
怒る人は、この1→2までが早すぎる。
ストレスを感じた瞬間怒ってしまうのだ。
つまり、怒る人が本当に怒る理由は、自分の思い通りに行かないという
自分のストレス
が原因なんだ。
怒らないために
自分のストレスが原因なのは分かった。
では具体的にどうすれば怒らずにやり過ごせるのだろうか。
僕は2つの方法を提案しようと思う。
その1 なぜストレスを感じるのかを客観的視点から考える癖をつける
先ほど、怒る人は1次感情から2時感情までのプロセスが早いという話を述べた。
逆を返せば、そのプロセスを遅くする事ができれば、怒らないようになるはずである。
そこで、意識するべきは1次感情を抱いた瞬間である。
僕はその1次感情を把握した時、なぜイライラしているのか、なぜストレスを感じているのか。
ということを考えるようにしている。
そうすると、イライラ、ストレスを感じる原因は今ある現状ではなくて、その現状とは全く関係ない1日前、1週間前からの積み重ねである場合も意外と多い事に気づく。
プライベートがうまくいっていない、先輩から言われた事がずっと気になっていて、1週間前の失敗で後輩からどう思われたかのか。。、。。
ような感じで、今ある現状にイライラしているのではなく、その以前からの うまくいっていない というここ最近のストレスの積み重ねで怒りに到達しようとする事に気づく。
そして、今怒ろうとしていることは、本当に些細な事にすぎないという事にも気づいて怒る事を止まる事ができる。
または、今ここで怒ってもそのイライラ、ストレスが増すだけでなんの意味もない事に気づきもする。
その2 他人にも他人なりの理由がある
これは、性善説のような話にもなってしまうが、そもそも人が思い通りに動いてくれないのにも理由がある。
全ての結果には理由がある。
こういう時は、いかにその人の立場になって考える事ができるか。
その人は、もしかしたら自分が見えないところで違うことを頑張っていたのではないか。プライベートでうまく行かなかった事が重なったのではないか。
人間社会で生きている限り、我々は様々なコミュティに属し、様々な顔をもち、様々な経験をしているはずだ。
今、自分が見えているその人がその人の全てではないと、理解した上で、なぜその人が自分の思った通りにやってくれなかったのかを考えるのが良いのではないか、
怒らないことは、自分を生きるのをちょっとだけ楽にしてくれる
僕は、高校生くらいから他人に怒った事がほとんどないと思う。
これは、当時を考えると、他人の目ばかりを気にして生きてきたから。というネガティブ的な意見ではあるが、その経験が今となってはとても良い物をもたらしてくれたと思う。
他人の目を気にするということは、それ即ち、他人に感情移入するという事に等しいので、他人を考える能力がついたという事だ。
冒頭でも述べたが、我々に幸せをもたらしてくれるのは人間関係だ。
怒らないことをで人間関係を少しでもよくすることは、生きていく上で良い何かしらをもたらしてくれるに違いない。
怒ってしまうことは、生まれ持った宿命で、怒りは制御できないという話をしたがなかなか納得いかないんだよなぁ。
— マッスブッチ😎 (@yoshixj_jp) 2018年5月26日
怒るとは、現状を解決する手段を考えるのを放棄して、ただ怒りというあたかも現状が解決しそうな虚構の感情を作り出しているだけだ。みたいなことをアドラー先生が言っていた気がする。
オススメの本